2011年6月6日月曜日

オカルト離れ

なんとなく最近オカルト情報から離れてきた
理由は3つ

・チェックしているサイトの更新が示し合わせたように減ってきた
・自分もちょっと飽きて…というか、あんまり意識が合わない
・災害とか次元上昇とか、なるようにしかならないのなら情報を追わなくてもよいのでは…

ん~確かに、ここ最近シンクロとか意識が働かなくなってきた感じ。
なんだろう。5月後半あたりから。

そういえば先日1つシンクロあった。
急に今思い出したけど、それがヒントかも。
メモろ~


マルモのおきて→阿部サダヲ→宮藤 官九郎 ときて
オーラの泉に出てたことを知り、その回の様子を読んでみた
オーラの泉と江原啓之と美輪明宏の情報
(以下抜粋)
宮藤 官九郎の魂のテーマは「型」
型が嫌いで、型があるか無いかが気になる。
自分の20年後が気になるのも
人の未来は決まっているかどうかが気になる、と江原さん。

それも「型」。
定まっているなら、もがいても無駄なのか、ということが気になっている。

宿命と運命はちがう、と江原さん。
宿命は素材、運命は料理。
人生の素材は決まっているが、料理は決まっていない。
だから生まれてくる意味があり、努力する意味がある。

流れに任せれば型どおりになるが、料理をすれば変えることができる。

あれ…今こうして書いていると
前半の自分の「なるようにしかならないなら」という姿勢は
流れに任せっぱなしだろ、と言われているような。


この内容を読んだあとに、チェックしたサイトで、また「型」の話が~
固定観念の壁
(以下抜粋)
そこじゃの。
精神世界用語・・・
それには強い型が存在する。固定観念じゃのう。
わしらがどれほど多種多様な情報を送ろうが、
表現が強引にその型にねじ込まれてしまうんじゃよ。
それは結果、意味の曲がり、閉塞感につながる。
その壁をやぶらねば、新しい情報はキャッチできんのじゃ。
既存の情報の練り回しのように感じてしまうんじゃよ。
そこで、精神世界に染まらない者が情報を受信することに
よって、その壁を壊すことができる。
(中略)

まず、自分ひとりで何でも判断し、行動することが大切なのじゃよ。
それをクリアしてこそ、わしらのような存在が介入できる。
それは個人レベル、地球レベルでもかわらん。
なぜならば、自主性、主体性を確立するという集合意識の意思決定が
あるからじゃ。それを確立した者は外部の意識を
取り入れることができる。

どちらも「型」
イコール固定観念。

確かに精神世界の「教え」的な内容は、飽き飽きしてるんだよなぁ~
なのに読んじゃう自分。
この感じは閉塞感。

もう自主的に主体性を持って、判断し、行動せよ、ということか。。。